かのこの脳内はかのこもわからない

駆け出しの作曲家が日々思ったことを綴るだけの世界

だから何?それがなんなの?

 

最近心の中でよく呟くことがある。

 

「だから何?それがなんなの?」

 

 

いろんな曲を見てても、

 

ここはフーガになってるなぁ

「だから何?それがなんなの?」

 

この曲はこういうシステムが使われているのか

「だから何?それがなんなの?」

 

ここはこういう音階が使われているのね

「だから何?それがなんなの?」

 

 

それが音楽的にどういう効果があるのか

システムを作ることが素敵な音楽を作ることには繋がらない

巧みな技法を用いることが素敵な音楽を作ることには繋がらない

 

 

そもそもなんで作曲家は和声できないといけないの?フーガが書けたらなんでえらいの?「素敵な音楽」とはどういうご関係で?

 

このことをずっとずっと考えてた時期があった、5年前くらいとか。

和声ができるから偉いんじゃない。和声という概念を真の意味で手に入れたとき、素敵な音楽を書くための手段の一つがやっと手に入る。

手に入るというより、自分の中にじわっと浸透していく感覚。美肌パックみたいに。

 

 

美肌パックだって、あれ本当に浸透してるのかねって思う。

まあやるんだけど。

 

 

ちょっと脱線した。

 

 

音楽だけじゃない。

本質というものの周りには、いろんなゴミというかまやかしが纏わり付いていると思う。

頑張ってる人が偉いとか、多分それもまやかし。

本当に頑張るって何?

 

 

何か結果に直結する努力が正義だとか意味があるだとかいってるんでもない。

そもそも結果出してそれが何になるの。何のために結果を出すの。

この世の全て、何のためにあるの。

 

 

 

「本質」って、真っ暗な深海のもっとさらにある未知の領域に近いところにある気がする。

真っ暗な深海って、潜るの怖くない?戻れなかったらどうしようとか。

本質を突き詰めるのも、私は結構怖い、感覚。

 

 

 

「だから何?それがなんなの?」

 

 

「本質」という真っ暗なところにあるものに近づくための言葉なんじゃないかなって思う。

でも、こう問い続けるの、正直しんどい。ますます見えなくなっていくから。何が正しくて何が違ってて、

何に意味があって何が無駄なのか。

一個一個選別していかなければならない。

正直しんどい。何も思考したくなくなるよね。考えることが多くて。

 

学者ってすごいよ。本当心から尊敬する。

研究分野にずっと意味を見出し続けて、それを思考し続けることができるんだもの。

 

私にはできないよ。

 

 

 

自分の音楽は正義だと、言えるようになりたかったけど。

深海に溺れたまま、帰ってこれないかもしれない。

 

 

 

 

「本質」を探し続けて潜った先に見えるのは、「タナトス

 

 

 

そんな気がする。